中島みゆき/エレーン(客体との一体化)【歌詞】

    中島みゆき大先生の書く歌詞は、どれも本当に最高すぎるとしか言いようがないんだけど、中でもこの「エレーン」は最高すぎる。

 
    この曲は、7作目のアルバム「生きていてもいいですか」に収録されており、その歌詞は中島みゆき自身の実体験をもとに書かれたものであると言われている。
 
    エレーンは同じアパートに住んでいた外国人で、中島みゆきは彼女のことをモデルだと思っていたが、聞き込み捜査に来た警察官から「彼女は娼婦であり、何者かによって殺害された」ことを知らされる、というエピソードがこの歌詞のもとになっている。
 
   あらゆるサイトで歌詞の考察がなされているし、すべてのフレーズが素晴らしすぎるので、個別の感想は避けておく。
 
--------------------------------------------------------------
 
   この曲は 私(中島みゆき)が おまえ(エレーン)のことを語る形式で歌われている。
 
    曲中には2度、私がエレーンの気持ちを推し量るような、共感するような歌詞が出てくる。
 
  その時 口をきかぬおまえの淋しさが
突然私にも聞こえる
 
  私は    笑わずにはいられない淋しさだけは真実だったと思う
 
    いずれにも共通するのは「淋しさ」であり、聞こえないはずの淋しさや、作り笑いの裏に隠れたエレーンの淋しさに中島みゆきが思いを馳せている。
 
    そして、最後のサビ前の「今夜雨は冷たい」というフレーズである。雨が冷たいと感じているのは言わずもがな私=中島みゆきであるが、エレーンもまた「灯りの暖かに点ったにぎやかな窓をひとつずつ のぞいて」おり、窓の外で雨に濡れている。
 
    雨降る窓の外から、暖かな家庭を恨めしそうに覗くエレーンに、作詞者である中島みゆきが想いを馳せ、共感し、一体化している。「雨は冷たいだろう」ではなく「雨は冷たい」と、中島みゆき自身も雨の冷たさ、ひいてはエレーンの淋しさを感じているのである。
 
   この憑依ともいうべき対象との一体化が、鬼気迫るものをアルバム全体に与えている。と思う。怖い。でも、良さがある。