小沢健二/さよならなんて云えないよ(美しさ)【歌詞】

テレビから、聞き覚えのある歌が流れてきた。女優さん演じる親子が口ずさむその歌は、小沢健二の「さよならなんて云えないよ」だった。

 

小沢健二は、かつてあのタモリをして「最近、歌の歌詞で『あぁ』ってなったのはこの人しかいない」とまで言わしめたとおり、それはまあ天才的な歌詞を書く方である。

すんごく複雑で繊細な感情を、さらっとポップに表現してしまう人だ。

 

この曲の歌詞も当然に最高すぎて最高であるが、なぜ素晴らしいかということについては、以下のサイトがとても分かりやすい解説をしてくださっている。

 

素晴らしい解説→小沢健二の美しさ - 力士の小躍り

 

上記ブログの焼き直しになってしまうのだが。

 

彼は、仲間との別れが、遠くない将来にやってくる、あるいは目前に迫っていることを知っているし、既にそれを受け入れつつある。

 

本当は分かってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れてゆくと」という歌詞のとおり、別れのあとに、自分たちの心さえも変わっていってしまうことを、十分に予感している。

 

だけど、永遠に続くと感じたこの瞬間の「美しさ」だけは、どうか消えないでほしいと願っている。

 

Aメロとサビが交互に繰り返されるシンプルな構成の中で、異なる展開が二箇所ある。

 

曲調をがらりと変えるBメロ。

 

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

 

そしてラストの大サビ。

 

 いつの日か; oh baby 長い時間の記憶は消えて 

 優しさを; oh baby 僕らはただ抱きしめるのか?と 

 高い山まであっというま吹き上がる 

 北風の中 僕は何度も何度も考えてみる 

 

 やはりこの二箇所がこの歌の肝である。

 

「この美しさは、いつかは消えてしまうものなんだ」という気持ちと「この美しさは、永遠に続くのだ」という相反する二つの感情の中で彼は揺れ動いている。

 

結局、どちらが正しいのか、彼の中で結論は出ていない。そして、 暖かな旅立ちを予感させる「南風」から一転、最後に彼は冷たい「北風」の中にいて、これからの苦難や孤独を連想させるような終わり方になっている。

だけどそこに希望がないわけではない。何故なら彼は、そんな中でも、かつて感じた美しい優しさについて、「何度も何度も考え」続けるからだ。考え続けることは、さよならを云うことの反対、つまり、忘れないことである。

 

TOKIO/fragile (たとえるもの、たとえられるもの)【歌詞】

    長瀬くんの歌が好きだ。

    「泣くな!はらちゃん」の主題歌「リリック」も最高だったが、「フラジャイル」の主題歌「fragile」も彼が作詞・作曲を手掛けており、当然のことながら最高すぎて最高である。
 
    彼の書く歌詞は、そのキャラクターや歌声と同じようにまっすぐで飾り気がなく美しいが、今作の「fragile」の歌詞の中には、少し引っかかるところがあった。
 
 
    出だしの「花びらが風に吹かれ命のように散っていく」という一節である。
 
    一般的には「命が花びらのように散る」と喩えるところだろうが(ドラマによくある、病室から桜の花びらが散るのを見て命の儚さを感じるシーンのように)、ここではそれが逆になっている。 2番でも同じく「僕の心のように、桜が揺れている」と、「桜」が喩えられるもの、「心」が喩えるものになっている。
 
    しかし、ラストの大サビでは一転、「言葉じゃないものが、あの桜みたいに」と、桜が喩えるものとなって、喩える対象と喩えられる対象の関係が逆転している。
 
    喩えるものと喩えられるものをつなぐのは「類似性」であるが、ここでの類似性、つまり両者のつながりは、曲のタイトルのとおり「壊れやすいもの」であるということである。
 
    花びら、命、心、桜、言葉じゃないもの、これらは全て「壊れやすいもの」として描かれている。この類似性を残したまま、喩えるものと喩えられるものが入れ替わり循環することで、一つの輪のように繋がったもののような感覚を引き起こしている。
 
    歌の中の「僕」は、風に揺られ散っていく桜を眺めながら、壊れやすく儚いが、同時に力強く美しいと感じている。そしてそれは自分自身でもあり、自分自身の中に生まれつつある「言葉じゃない」何か、でもある。
 
     「いや、たまたまだろ」と言われたらそれまでだが、意識せずにこんなすごい歌詞をかけるとしたらそれはそれで最高すぎて天才である。
    

サンボマスター/歌声よおこれ【歌詞】

 日曜日のこと。地獄の休日出勤からの帰り道、車中にサンボマスターの「歌声よおこれ」が流れた。鼻水が飛び出るくらい良い歌だった。メロディも勿論最高だけど、何より歌詞が素晴らしすぎた。

 

 完全に僕の独断なんだけど、自分の中で「良い歌詞だなあ」とグッとくるポイントが幾つかある。それはこんな感じだ。
 
・主語、述語の関係性や、言葉の選択が独特であること
・一貫した物語性があること
・肝心な部分を敢えて隠していること
・場面や視点の転換が表現されていること
 
 
 さて、サンボマスターの「歌声よおこれ」だけど、この曲の歌詞の素晴らしい点は、さきほどのグッと来るポイントの4つ目に当たる、目まぐるしい視点の転換にある。
 
 静かなギターで始まるAメロから一転、Bメロは、激しいストロークとともに、「涙流れて雲の上」という歌詞で始まる。この「雲の上」という歌詞で、視点は一気に空中高くまで押し上げられる。かと思えば、2番のBメロでは「涙溢れて君の影」と、今度は地面低くへと下降し、最後には「涙こらえて横顔冷たく光って」と、「あなた」の真横へと戻ってくる。無意識のうちに、聴き手の視点は上へ下へ、また横へと大きく揺さぶられることになる。
 
    更に言えば、いずれのフレーズでも「涙」という言葉が引鉄になっていて、一度「あなた」もしくは自分の顔近くまでフォーカスされたうえで、空中や地面に視点が動くことで、くるくるとカメラが動くような躍動感が曲全体に与えられている。
 
 
  まあ、なによりもこの曲のタイトルでもある「歌声よおこれ」という、この「歌声」と「おこる」の組み合わせが好きなんだけど、なんで好きなのかをうまく説明できないので、ただ好きだと言っておく。
 
 ちなみに、宮本 百合子さんという小説家の著作に「歌声よ、おこれ」という同名の作品があるらしい。近々読んでみたいと思う。
 

ハードルは低くしておくものよ

ココココココケーッ!!!!
私です。


去年の今頃、2015年の目標を立てた記憶がある。

確か「今年はアレをする」みたいなやつにしたはずなんだけど、「アレ」がなんなのか早々に忘れてしまって、結局1年間何もしなかった。
なので、今年はきちんとした目標を立てたい。


だけど、同時にこうも思う。変に目標とか立てるのって本当に良いことか?と。


無理な目標を立てて全然達成できなかった時は、「なんでやると決めたことができないんだこのポンコツ豚眼鏡が」と自分を責めてしまい、とても辛い。

僕は目標を立てるとき、到底達成できないレベルのやつを設定しちゃうタイプなので、「毎日5時に起きる!1日10キロ走る!!腕立て1000回するぜイェーーーー!!!!」とか言って全くやらずに自己嫌悪になるというのがいつものパターンなんですよね。

だから、もし目標を立てるとすれば、ハードルを低くすればいいんじゃないか、と思う。

とは言っても、どうせ下げるならとことん低くするべきだ。

たとえば、「通勤電車の中で外国語の勉強を4秒する」とか、「朝5メートル走る」とか、「いつもより20秒早く起きる」とか、それくらい。

というわけで、今年の目標は、「極端にハードルの低い目標を立てる」にします。

なお、「目標を立てること」自体が目標であり、且つそのハードルが低いものであることが前提なので、目標を立てること自体がなされなかったとしてもそれは別にいいです。わけわからんくなってきた。もういいや。今年は俺になんらかの大金が舞い込め!!!金持ちは全員口内炎が4個ずつできろ!!!!バカ!!!!!

運命の出会い

運命の出会いってあるよね、と強く感じた出来事がありました。



駅までの帰り道で1人の女性とすれ違ったんですが、「アレッ?!」って言われたから思わず立ち止まって振り向いたんです。

そしたら「あの、覚えてませんか?あの時の!」って言われたんで、必死に考えたんだけど見覚えがなくて。

もぞもぞ戸惑ってたら、「わからないかな?ホラ」ってマスクを外して顔を見せてくれたんですが、それでもわからなくて。

頭の中の記憶をフルで掘り起こしてたんだけど、次の彼女の一言で全ての謎が解けました。









「あ…ごめんなさい人違いでした…」




うん、運命の出会いってあるよね。「自分そっくりな人と知り合いの人」との運命の出会いがね…そのまま何事もなく1人で帰るという運命もね…あるよね…うんうん…まあ言ってみれば日常の全てが運命とも言えるしね…一つ一つの出来事を一期一会の奇跡として感謝しながら生きていくことが大切だと思うし、まあ結果としてただの人違いだったとしても、それはそれで奇跡と言えるわけだし、ほら俺ってそういう全ての奇跡に感謝しながら前に進んでいくタイプじゃないですか?だからみんなも(続きを読むには会員登録が必要です)