働かずにハワイで暮らす10の方法

キェーッ!!私です。

 

また数ヶ月これを放置してた。

放置してた間、特に何もなかった。

 

私、もともと専攻が外国語でして、まあ多少なりとも齧ったんだし、せっかくだから継続して勉強しよか、って感じで未だにちびちび勉強してる。

 

最近は便利なもんで、スマホのアプリにも「単語カード」みたいなのがあるので、それに地道にポチポチ単語を登録していくんだけど、どうしてもやる気が出ない。

 

試しに、アプリ起動時に表示される単語帳のタイトルを「働かずにハワイで暮らす10の方法」って変えてみた。

 

 

特にやる気は出ない。

 

でも、アプリ起動させた時、少しだけ楽しい気持ち。 

 

「子猫のかわいい写真集」とかにしてみようかな。

 

タイトルにつられてこのブログをつい開いてしまったあなた。

 

 

ね?タイトルって大切ですよね?

 

 

 関係ないって?

マヨネーズでも飲んでろこのボンクラ野郎!!

 

Doughnuts Hole/おとなの掟(白黒つけること)

※若干のネタバレがあります。ドラマの未視聴の方はご注意ください。

 

毎週楽しみにしていた「カルテット」が、とうとう終わってしまった。

 

「逃げ恥」同様、本編の面白さもさることながら、タイアップ曲のインパクトが大きく話題を集めたドラマだったと思う。

 

 

「おとなの掟」は椎名林檎様の作詞・作曲である。言わずもがな天才である。

 

曲中では、「2つの相反するもの」が一貫して描かれている。

「真っ黒な中」「真っ白な息」、「嘘」「本音」、「好き」「嫌い」、「正解」「不正解」、「ト書き通り」「アドリブ」、「幸福」「不幸」、そして「白」「黒」。

 

ドラマの中で、カルテットドーナツホールの面々は、自分の人生における「音楽」の位置付けに苦悩する。音楽を趣味にすることと、夢にすることは、度々「アリとキリギリス」の話にたとえられる。音楽を仕事にできなかったけど、趣味にもできない自分たちは、夢の沼に沈むキリギリスなのではないか?

 

クライマックスに向けて、各々は自分の人生における音楽に「白黒つけ」ようとし始めるが、結局それは曖昧になって終わる。彼らの音楽が趣味となったのか、夢であり続けたのか、結論は描かれなかった。

 

軽井沢でのコンサート前、彼らの元に届いた手紙の中には、「なぜ辞めないんですか?」という言葉が繰り返されていた。自分の中の音楽に「白黒」つけた人からの、「なぜ白黒つけないの?」という疑問。

「意味がないのに、将来がないのに、無駄なのに、なぜ辞めないのですか?」これは、このドラマを通して、夢と現実の狭間で揺れている視聴者に向けられた問いかけでもあった。

 

彼らが自身の音楽に「白黒」つけなかった理由こそが、あの問いかけへの答えであり、音楽を好きでい続ける理由であるが、それについてはカラオケボックスでの会話や、ドラクエのテーマを楽しそうに聞く少年たちや、第9話でのすずめのセリフに現れていたと思う。

 

そして、主題歌の「おとなの掟」である。

冒頭で触れたとおり、曲中では一貫して「2つの相反するもの」が描かれるが、クライマックスでは「自由を手にした僕らはグレー」というフレーズが現れる。ドラマでも、音楽に白黒つけることをやめたカルテットドーナツホールは自由になる。その世界観を、わずか数分のこの曲で見事に表現している。椎名林檎様。言わずもがな天才である。

あの時、ケツの部分が

お気に入りのストライプのスーツ。

久々に着ようと思ったら、ジャケットはあるけどパンツがない。

 

クローゼットやらタンスやらをひっくり返してみたけど、いくら探しても見つからない。

 

で、今日思い出した。

 

 

去年のちょうどこの時期、職場でしゃがんだ時に、ベリーッ!ってすごい音がして、ケツの部分が裂けた。

 

そうだ。裂けたんだ。

あの時、ケツの部分が。

 

そして、泣く泣く捨てたんだった。

 

そうだ。あの時…

 

 

「あの時、ケツの部分が」

作詞:sonomasari

作曲:sonomasari

 

まさかこんなに早く  別れがくるなんて

いつまでも一緒に  いれると思ってた

 

時の流れは残酷で  突然ふたりを引き裂いた

引き裂いたというか 裂けたんだ(wow wow)

 

※ そうさ裂けたんだ  そうさ裂けたんだ

  あの時、ケツの部分が(でん部が)

  不自然にカーディガンを腰に巻いて

  早足で帰ったんだ(ケツを抑えながら)

 

(以下、※を2回繰り返し)

 

 

 

  

破れる:разбива́ться

 

弧をえがけ、たとえ終着点が何処であっても

電車で横に立ってた人が、出口の方に向かって振り返った時に、カバンが遠心力で弧を描いて、俺の金玉に直撃した。

 

その人は気付かずに電車を降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弧を描く: делать круг

ウサギとスーパー・ジュディ・オング・タイム

ふと思い立って、「SJT(スーパー・ジュディ・オング・タイム)だ」と呟いた。

 

白いタオルケットを体に巻きつけ、「魅せられて」を歌い踊ってみたが、妻もウサギも僕のことを見てはいなかった。

 

いや、正確に言うと、ウサギは少しだけ僕を見つめていた。奇怪な生物を見るような目で。

 

いいじゃないか。ウサギに軽蔑されたとしても、生きているだけで、いいじゃないか。

 

 

ウサギ:заяц(ザーイツ)、кролик(クローリク)

やめろ、その注射

なんか、傷つくことを急に言う人っているじゃないですか。

 

いや、歯医者さんなんですけど。

 

「じゃあ麻酔しますね」って言うじゃん。すぐ。

 

言わないで。怖いから。そんな突然言われて対応できるような準備できてないから。

「じゃあ麻酔しますね」の「じゃあ」って何?「じゃあここに消しゴム置いときますね」みたいなノリで言ってるけど。

 

せめて一回聞いてよ。「麻酔しますけど大丈夫ですか?」って。ベストは「明日の治療中、もしかしたら注射するかも」って事前に電話するか、もしくは「毎回麻酔の注射をする可能性があります(小さな虫歯でも)」って張り紙するかだけど、それは求めすぎだと思うから、せめて一回「麻酔しますけどOK?」って聞いて。

 

しかも何回も刺すじゃない。歯医者の麻酔って。細〜いやつ何回も刺すじゃない。バカ!「ちょっとチクっとしますよー」じゃないでしょ。「ちょっと」とかじゃないから。ちゃんと正直に言ってよ。「かなり痛い奴を数回やりますけど、大丈夫ですか?」って言ってよ。

 

「次回の治療において、軽微な虫歯であっても、痛みを抑えるために麻酔注射を行う場合があります。この注射はかなり痛いです。細めのやつを何回か歯茎のキワあたりに刺します。心の準備をしておいてください」って可愛いカードに書いて毎回問診の時に渡してよ。 

 

可愛いカードに書いて渡してよ…

 

 

アンパンマンとかスヌーピーとかのやつで…

 

 

 

 

 

中島みゆき/エレーン(客体との一体化)【歌詞】

    中島みゆき大先生の書く歌詞は、どれも本当に最高すぎるとしか言いようがないんだけど、中でもこの「エレーン」は最高すぎる。

 
    この曲は、7作目のアルバム「生きていてもいいですか」に収録されており、その歌詞は中島みゆき自身の実体験をもとに書かれたものであると言われている。
 
    エレーンは同じアパートに住んでいた外国人で、中島みゆきは彼女のことをモデルだと思っていたが、聞き込み捜査に来た警察官から「彼女は娼婦であり、何者かによって殺害された」ことを知らされる、というエピソードがこの歌詞のもとになっている。
 
   あらゆるサイトで歌詞の考察がなされているし、すべてのフレーズが素晴らしすぎるので、個別の感想は避けておく。
 
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   この曲は 私(中島みゆき)が おまえ(エレーン)のことを語る形式で歌われている。
 
    曲中には2度、私がエレーンの気持ちを推し量るような、共感するような歌詞が出てくる。
 
  その時 口をきかぬおまえの淋しさが
突然私にも聞こえる
 
  私は    笑わずにはいられない淋しさだけは真実だったと思う
 
    いずれにも共通するのは「淋しさ」であり、聞こえないはずの淋しさや、作り笑いの裏に隠れたエレーンの淋しさに中島みゆきが思いを馳せている。
 
    そして、最後のサビ前の「今夜雨は冷たい」というフレーズである。雨が冷たいと感じているのは言わずもがな私=中島みゆきであるが、エレーンもまた「灯りの暖かに点ったにぎやかな窓をひとつずつ のぞいて」おり、窓の外で雨に濡れている。
 
    雨降る窓の外から、暖かな家庭を恨めしそうに覗くエレーンに、作詞者である中島みゆきが想いを馳せ、共感し、一体化している。「雨は冷たいだろう」ではなく「雨は冷たい」と、中島みゆき自身も雨の冷たさ、ひいてはエレーンの淋しさを感じているのである。
 
   この憑依ともいうべき対象との一体化が、鬼気迫るものをアルバム全体に与えている。と思う。怖い。でも、良さがある。